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70's/80's Monochrome Age and Years of Ektachrome film

甲斐常葉 (身延線) 1996

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甲斐常葉は、富士身延鉃道が1927年12月27日に身延から市川大門までを延長した際、下部町(当時)の中心集落常葉に開かれた停車場である。用地を集落とは常葉川を挟んだ対岸に求め、地形の関係からか小さな構内にかかわらず対向曲線上に位置して、好ましい佇まいを見せていた。しかも上り方は杉の木トンネルの出口抗口に接する。構内がエス字線形の事例は国鉄線にそれほど多いとも思われず、出自の地域交通線たる私設鉄道の現れとも云えようか。
この鉄道の建設が準拠した地方鉄道建設規程(1919年8月13日閣令第11号)も当時の国有鉄道の鉄道建設規程(1900年8月10日逓信省令第33号)も反向曲線上への停車場設置を禁じていた訳ではないが、ここのような構内延長の短い場合なら鐵道院や鐵道省の建設線では余程の制約でもない限りは避けられていたものである。しかも、ここは上下にそれぞれ待避線をともなって、それもエス字状であるから、構内有効長より判断するに長編成列車はなかったにせよ、上り方の貨物積卸線が稼働していた時分の入換作業では見通しに難儀したことと思う。これを見ていれば、辺境の天北線や名寄本線はやはり本来の幹線と納得してしまい、永年そのような線区ばかりを撮っていた身には新鮮に映るのだった。

散策に出た常葉の集落は然程に大きいでは無いのだが、そこの酒屋では沿線の地酒、鰍沢口から遠くないところに在る酒蔵である萬屋酒造店の春鶯囀(しゅんのうてん)を売っていた。しかもエントリィクラスの本醸造酒ぱかりでなく純米も吟醸酒も置かれて驚喜したのだった。それは酒呑みの間では、なかなかの人気銘柄なのである。地元とは云え、このような集落規模の酒販店の多くが地酒の在ってもせいぜい普通酒(* )で、それとは名ばかりの食料品店と化す中では珍しく、以来その四合瓶を土産に持ち帰るのは常態になっていた。いつも、ここでの撮影をその日の最後としており、持ち帰りの重さも気にならなかったのである。(* ) 萬屋酒造は全てが特定名称酒で普通酒は生産していない

身延の近辺で撮っていれば夕刻には必ずこの駅へと移動していたのは、走行撮影が国難なその時間帯に、ここで上下の<ふじかわ>が離合していたからである。件の酒屋で酒を買い込み、駅前の食堂で飯としながら夕闇を待ったものだった。
写真は、運転停車の8082M(右)とゆっくりと通過する4007M。エス字線形の構内がお分かりと思う。
撮影位置はヤブ蚊のとんでもなく多いものだから、忌避剤をたっぷりと塗り込んで踏み入っている。

[Data] NikonF4s+AFNikkorED180mm/F2.8D  1sec.@f32 Fuji LBA2filter Ektachrome Professional E100S [ISO160/0.5EVpush] Edit by PhotoshopLR5 on Mac.
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