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70's/80's Monochrome Age and Years of Ektachrome film

打保 (高山本線) 1999

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1969年度から71年度までに478両が、77・78年度にさらに125両の新製された12系急行形客車ではあるが、1980年代に至れば、相次ぐ列車削減と残る定期運用も14系特急形客車への置替が進み、この系列本来の新製事由であった波動輸送需給も低下して早くも余剰を生じ、団体旅客輸送向け車両への転用が続いた。接客設備を畳敷きとした和式客車、所謂座敷客車と呼ばれた一群である。これらは、6両を基本とした編成単位にオロ/スロフ12の800番台(一部900番台)に区分されていた。
和式客車自体は、1960年に盛岡鉄道管理局(以下鉄道管理局は局と略す)に所属したスハ88を嚆矢として、1970年代には名古屋局、長野局のオハ/オハフ80編成に加えて、特急格上げや電車化にて捻出の特別車(グリーン車)を種車としたスロ/スロフ81にて組成の7本編成が稼働していた。移動の列車内が宴会場と化す団体旅行は折からのカラオケ機器の登場、普及と相俟って年配者を中心に一定の需要が存在したのである。
12系客車の転用は、それら老朽車の代替とされ、本系列の6両編成を基本とした定員も需要に適合したゆえであろう。1980年度の門司局を皮切りに、各局が競うように導入を進め87年度までに15局に16編成が配備された。

個人的には、鉄道車両の畳敷には納得の往かず、加えて編成の奇をてらったような外部塗色にも、それらを積極的に撮ったことは無かった。けれど、90年代に至って機関車列車の稀少となれば、そうとも云っては居られないこともある。
この頃、毎年2月半ばに2度程、泊や黒部、魚津など富山県の東部地域から下呂温泉への募集団体旅行が催行され、高山本線には金沢運転所配置の和式客車編成(愛称名-わくわく団らん)による団臨が走ったのである。既に南端の坂祝までと北の猪谷以北を除けば機関車運行の無くなっており、まして積雪期とあればなおさらとばかりに出掛けていたものだった。
1982年に福井客貨車区に配置された当時の国鉄金沢局の和式編成は、西日本旅客鉄道に承継後の1993年に車両の差替えを含む更新改造を受けており、それこそ走行する風景にはそぐわぬ外部塗色の施されていたけれど、機関車とも150メートル程の列車延長も、最大でも<ひだ>の増結に5両組成を見るだけのここでは魅力ではあった。

第三宮川橋梁上の9627列車。牽いているのは宮原運転所(当時)のDD51である。
この橋梁の定点撮影を繰返していた、宮川村中沢上(なかぞれ)から巣納谷(すのだに)へ宮川の右岸で通ずる村道川東線上のこの立ち位置は、2004年10月にこの地を襲った台風23号による出水にて地盤もろとも流されてしまった。道路の復旧はなされたのだが、同一位置とは往かなくなっている。冬期には除雪されず、斜面からの崩落もあって完全に埋まるからラッセルしながら進むしか無い。氷結した崩落雪を越えるにアイゼンが必須。

[Data] NikonF5+AiAFNikkor 85mm/F1.8D 1/250sec@f4+1/2 C-PLfilter EktachromeProfessional E100G [ISO160/0.5EVpush] Edit by PhotoshopLR4 on Mac.
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