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70's/80's Monochrome Age and Years of Ektachrome film

中山平 (陸羽東線) 1969

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大谷川、北関東にもかつて東武特急の愛称にもなった同名の川があるが、ここでは「おおや」と読む。
標高1083メートルの大柴山南斜面を水源に、宮城・山形県境を南流の後に東に向きを変え、鳴子温泉市街地近くで江合川(荒雄川)に合流する北上川水系の一級河川であり、鳴子峡の深い渓谷を刻むのもこの川である。鳴子トンネルを出た陸羽東線は、その広い谷を県境のサミットへと辿り、その本流と流れ込む沢に幾つかの架橋を要している。
中山平停車場の前後には、その構内のレヴェル区間を挟むように杵沢を跨ぐ中山川(l=68M)と本流への第二大谷川(l=65M)の二つの橋梁が架けられていた。どちらも重連の機関車を載せるに丁度良い延長で、1917年11月1日の開通以来の石積の高い橋脚を持っていたから、ここでの定番の画角を提供してくれた。ともに1/55勾配上に位置して煙も申し分無いのだった。

これらを仰角で眺るべく構内の裏手斜面を川へと下る道を往くと、そこの大谷川は河原の石を積み上げた堰に止められ、地元の子供らの水浴びの歓声が聞こえていた。まだ全ての学校にプールの設備される時代では無いから、ここでの川遊びは夏休みの定番だったのである。
この頃に海パンは夏旅の常備品にしており(→北浜 (釧網本線) 1968)、早速に仲間入りさせてもらった。石の堰は思いのほか大きく、水深もあるものだった。子供らだけでは積めそうに無く明らかに大人達の仕事に思えた。ここでの夏の遊泳場造りは、彼らの子供時代から連綿と受け継がれた集落の年中行事だったのではなかろうか。同じような事例は全国に在ったことと思う。幼少時の記憶だが、祖母の故郷である茨城県の山間部、山方村辰ノ口でも久慈川の河原を分流した細い流れの堰止めに泳ぎに連れて行かれた覚えも在る。
渓流とあって虻やらの小虫が煩く飛び回るのだけれど、地元の小学生らの云う通り、沢水を集めた冷たい水に頭から潜って汗を流してしまえば集っては来ないのだった。山間地とは云え学校プールの整備され、水質や危険に対する意識も変化して川で泳ぐ子供らもすっかり見なくなった。自分も最後に泳いだのはいつのことだったろう。

写真は中山川橋梁を構内へと上る1793列車。
これは、夏休みの水戸への帰省途上に立ち寄った際の撮影である。

[Data] NikomatFTN+AutoNikkor5cm/F2 1/250sec@f5.6 Y48filter NeopanSS Edit by PhotoshopLR4 on Mac.
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