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70's/80's Monochrome Age and Years of Ektachrome film

面白山信号場-山寺 (仙山線) 1979

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電化区間と云うのは、どうにも好みでは無い。
何より画角の決定要素に電化柱の処理を考慮せねばならないし、それによる制約は意外と大きい。例え、それが単線の片支持区間であっても、機関車もしくは先頭車両のパンタグラフがビームのブラケットとクロスしてはいけない、などのセオリーも面倒臭いのである。勿論、逆光に映えて林立する電化柱や光るトロリー線の美しいことも承知しているけれど、前景や背景処理を含めて取れるポジションの制約は悩ましく、足は自然と非電化区間へと向かう動機のひとつになっていた。
もっとも、それは幹線鉄道のことで、買収国電線区などに残る古びた電車線設備は、場合によっては画角のテーマともなり得える存在でもあった。

交流車両の行き交う仙山線も古い電化線なのである。1937年11月10日に仙台と羽前千歳から延ばされた線路の全通区間となった作並-山寺間は、当時に丹那、清水に次ぐ長大延長の仙山トンネルを擁して、開業時より電気運転が採用された。石炭焚きの暖房車はここを越えていたけれど、電化を前提に延長5361メートルの隧道が選ばれたとして良い。
それゆえ、1968年10月の直流1500Vから交流への電化方式の変更を経ても、木製を始め鉄製のチャンネル材による電化柱などが残り、画角でのそれの処理を考慮せねばならない電気運転区間に在っては、寧ろ積極的に取り入れたくなる線区なのだった。買収国電区間にも共通する設備なのだけれど、交流の電機機関車や電車の近代化車両とのアンバランスも魅力ではあった。白いコンクリート柱と異なり、背景に溶込むのも好ましい。

電車線路設備に詳しいで無いのだが、電化柱にコンクリート柱の登場するのは時代を下った後のことで、この1930年代当時のそれには主に木柱が用いられた。地方私設鉄道の簡易な電化線には片支持も見られるものの、鉄道省の建設線には木柱2本建植の門型が採用されていた。トラスビームや架線の支持力に不安のあったのだろう。片支持区間のそれは鉄柱であった。仙山線のこの区間では鉄柱とせざるを得ない橋梁上も門型なのは、省線としての矜持だろうか。

山寺から所部経由の紅葉川林道からは様々な画角で渓谷の線路を切り取れた。林道と呼んでいるが正しくは、山形市の管理する「市道所部紅葉川線」である。
列車は811M<仙山1号>、山形行き。後追いになる。列車前方の鉄橋は第一紅葉川橋梁。

[Data] NikonF2A+AiNikkor50mm/F1.4 1/500sec.@f8  Y48 filter  Tri-X(ISO320)  Edit by PhotoshopLR4 on Mac.

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コメント

お仲間が居ましたか

かつてのハエタタキの邪魔モノでしたけれど、架線柱はその比ではありません。
車両からツノの生えたように見えたり、背景に抜こうとした山容に引っ掛かったり、
先頭の機関車はクリアしたと思えば、編成最後部が丁度バッティングして編成が消失したように見えたりとか、
あまり良いことがありません。画角の制約に加えて、計算しきれない要素も多いのです。
最近では非電化線へ向かっても、函館・室蘭線とか石勝線など通信線柱が架線柱宜しく建ち並んで、
これも悩ましい存在です。

  • 2013/12/09(月) 01:21:57 |
  • URL |
  • Wonder+Graphics #-
  • [ 編集 ]

まさに

仰る通りです。
いまだに幹線・電化区間はどうにも好きに
なれません。
「なぜこんなに画角が制限される?」と
いうのが納得いかず。どうしてもその分
ローカル線に向いてしまいますね。

  • 2013/12/08(日) 21:36:08 |
  • URL |
  • マイオ #pcU4xDNY
  • [ 編集 ]

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