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70's/80's Monochrome Age and Years of Ektachrome film

北二番丁車庫 (仙台市交通局) 1972

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仙台の市内電車には、循環線の北二番丁と長町線の長町駅前から分岐する回送線の先との二つの車庫が所在した。
北二番丁の車庫へは、好きな区間だった片平丁から大町西公園・公会堂前方向へと歩けば、ほどなく到達するので何度か立ち寄っていた。交通局前停留所手前から引込まれる通路線左側の事務所に許可を請えば、黄色い腕章を手渡され構内を自由に歩けたのだった。
さして広くも無い敷地には検修庫と事務所棟がぎっしりと建てられ、検修庫の南北に1線ずつの庫外線と、庫内の4線は手前側が留置線兼ピット線、奥側が修繕職場となっており、いつもジャッキアップされて台車の抜かれた車体が置かれていた。北側の1線のみは検修庫を抜けて敷地奥まで通じて、これは留置に専用されていたようであった。検修庫北側の庫外線は、ブロック塀、途中から板塀となる隣地との境の狭い空間を、これも奥まで伸びて庫内を抜けた留置線と並んでいた。
ここには予備的車両の留置されているのが常で、当時であればワンマン運転設備搭載工事の対象から外されていた100型の101-105の内1ないし2両が置かれていた。朝時間帯に交通局前と長町線の広瀬橋ないし舟丁を往復する系統に専用されていたから、昼間に夜間はここで寝ていたのである。残りは長町の車庫に居て、定期的に運用車の差替えがなされていたものと思う。

この101-105の5両は、1948年に戦前からの単車ばかりだった仙台市電に始めて登場したボギー車で、戦後の物資不足の時代ゆえモケットを省略した腰掛けなど粗末な内装ながら、その収容力から画期的輸送改善をもたらしたと云う。100型は翌1949年から1952年までに計24両が増備されたものの、この最初の5両は主電動機など電装品が異なり、将来に廃車予定としてワンマン車化工事の回避されたのであった。
但し、車体の整備のみは施工されたと見えて各車とも原型に近い美しい姿を見せていた。
この日、敷地隅の雑然とした中に留置されていたのは写真の103、そしてその後方には102が居た。
ちなみに、この留置線の先端に車止めらしきものは見当たらない。

[Data] NikonF PhotomicFTN+P-AutoNikkor50mm/F2 1/250sec@f5.6 Y48filter  NeopanSSS  Edit by PhotoshopLR4 on Mac.

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