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70's/80's Monochrome Age and Years of Ektachrome film

裁判所前 (仙台市交通局・循環線) 1973

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1960年代、札幌から祖父祖母の地である水戸への帰省旅行には、東北/常磐線の急行で直行するばかりでなく、旅好きだった父親の発案で色々な経路に乗っていた。日本海縦貫から上越線で高崎に出て両毛線・水戸線に乗る大回りもあれば、水郡線で郡山を経て福島から奥羽線を辿る旅もあった。いずれも途中で一泊して周辺の観光地を巡るのである。
直行経路上の仙台にも降りて、一日を松島遊覧、もう一日は仙台市内観光と云うことも在り、仙石線の気動車塗色をした国電やC59からC62まで各形式揃った大型蒸機ばかりの仙台機関区など札幌では体験出来ない鉄道風景に興奮した覚えが在る。市内観光に乗った仙台市電は1型/30型の単車から最新の400型まで自局導入の歴代各形式が揃っていた時代で、1型を2両連接に改造した300型など、子供の眼にも異様さを感じ取り思わず見入ってしまう車両も居た。間違いなくゲテモノの類いである。
高床で市内電車とは異質に思えた180型は、やはり郊外線の琴平参宮電鉄からと後に知る。嬉しかったのは、水戸市内を走っていた電車への再開で、1965年に茨城交通水浜線の100型の10両が130型として転入していた。これらは単車の廃車代替に購入されたものであった。

内地に転居した1970年代には、北海道均一周遊乗車券を手にした旅行者として道内とを往復し、途上仙台にも幾度か降りて仙台市電を撮ることになった。1969年に失われた北仙台線に続いての全線廃止も噂になり始めていた頃である。けれど、1968年には呉市交通局からの2000型に3000型も加わって、車両形式はこの当時が最も多様であったろう。
中でも気に入っていたのは11両が在籍していた200型であった。導入当時に流行した後退角の付いた正面2枚窓も良かったが、100型には違和感のワンマン運転転用に際しての非対称の大窓も、この車にはまるで新製時からのように似合っていた。1955年度製の206-208の3両だけのパンタグラフも異彩で、ポイントを稼いでいた。

この日は、南町通りから右転して進入する裁判所前の跨線橋(歩道橋)付停留所を正面から捉えるべく、中央分離帯の芝生に立って交換風景を狙った。そのタイミングに加えて自動車交通に邪魔されることも覚悟していたのだけれど、小一時間程でチャンスが巡って来た。しかも交換双方が200型の幸運に恵まれた。「小松ハウス」の自動車だけが惜しい。

[Data] NikonF photpmicFTn+P-Auto Nikkor105mm/F2.5 1/250sec@f8 Y48filter Tri-X(ISO400) Edit by PhotoshopLR4 on Mac.
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