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70's/80's Monochrome Age and Years of Ektachrome film

今川信号場 (羽越本線) 1971

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札幌から上京した後にも、今度は周遊券旅行者として北海道を目指したので、電化・無煙化が急速に進んだこの時期に内地の蒸機を撮った期間は短い。特に大型蒸機の残った羽越本線は1972年夏には電気運転開始を控えていたから、道内との行き来の途上に組み入れ、また東京からも近くて単独でも通った会津方面や米坂線と組み合わせても訪ねていた。日本海の荒れる季節の記録には71年の一冬しか無くて幾度も出掛け、米坂線に雪中の写真の多いのはそのせいだろう。
日本海岸のこの季節は、強風に海が鳴るか時雨の一日か、どちらかばかりだったように覚えている。雪混じりの雨と風に千切れた波飛沫に濡れた線路は、ここでの鉄道景観には似つかわしく思っていたものだ。

羽越本線は、1961年度に開発されて間もないトークンレス閉塞装置を用いる連鎖閉塞式と色灯信号機の全線への導入がなされ、次いで1966年度までには、これも全線で自動信号化も達成される等近代化が進められたものの、複線区間は極一部に留まり、日本海縦貫の重責を担うにはあまりにか細い線路が続くばかりなのだった。当時に典型的な亜幹線の姿と云えよう。
1957年度を初年度とした「第一次五カ年計画」に含まれた北陸本線の一部区間に始まった日本海縦貫線の電気運転と線増は、1961年度からの「第二次後か年計画」、1965年度からの「第三次長期計画」を通じて1969年に信越本線までに実現したけれど、ここで財政事由から息切れしてしまい、羽越本線と奥羽北線は電化こそ「財政再建計画」下でも進められたけれど、多くの単線区間が残され、それは国鉄の民営化で固定化したように見える。現在でもその随所の亜幹線の残滓を、鉄道屋としては喜ぶべきか悲しむべきか。

今川信号場には何度も降りたが、いつも越後寒川方ばかりに歩いたものだった。冬の走りの冷たい雨を白煙を引いて駆け抜ける姿は、情感の鉄道景観であろう。
列車は837列車、秋田行き。

[Data] NikonF+P-AutoNikkor50mm/F2 1/500sec@f4 Non filter NeopanSSS Edit by PhotoshopLR4 on Mac.

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コメント

もう40年になります。
鉄道は相変わらず単線ながら、
国道は様変わりしましたね。
道路に投資の進んだ40年なわけです。
8両も組成の普通列車は、今や単行もしくは2両程度の
気動車とは、時代の進んだものか、後退したものか。

今、豊郷の灯台です。

  • 2013/11/06(水) 10:30:17 |
  • URL |
  • Wonder+Graphics #-
  • [ 編集 ]

今川

こんばんは。

ここも架線さえなきゃ行きたいところです。
線路際もか細い田舎道と田んぼ位しか無かったのですね。
自分も生きていた時代でありながら、遠い昔のようです。
今はすっかり変わっているのでしょうね。

  • 2013/11/05(火) 23:09:21 |
  • URL |
  • 風太郎 #-
  • [ 編集 ]

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