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70's/80's Monochrome Age and Years of Ektachrome film

中山平 (陸羽東線) 1972

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鳴子峡の西側の入口であり、古くからの湯治場でもある中山平は新緑や紅葉黄葉の季節には多くの探勝者に賑わう観光地であった。久しく訪れてはいないのだが、今もそれに違いないだろう。駅には遠慮がちにだけれど装飾が施され、駅前の土産物店街には幟がはためいていたものだった。
シーズンのピーク期間には仙台から蒸機の牽く臨時列車が走り、時には予備車をかき集めたような雑多な形式の気動車で組成された団体臨時列車も運転されていた。定期列車も上り方面から到着する度に多くの観光客の吐き出されていたのを思い出す。
この賑わいは1970年代を通じて失われ、80年代の初めに再訪した駅前はすっかり寂れていたのだった。国鉄の輸送人キロベースの旅客輸送量が2156億人キロで最大を記録したのは、その半ばの1974年度ではあったが、まずは観光客需要の道路交通への転移が急激に進んだのがその10年間だったのだろう。この1972年でも鳴子側に設けられた臨時駐車場は乗用車や観光バスでひしめいていたのを見ているけれど、まだ鉄道も利用されていた近郊への団体輸送は、その直後には道路交通の市場に完全に取って代わられたのである。
鳴子方面からの観光バスは鳴子峡や温泉への入口で客を降ろすと、峡谷散策を楽しんだ彼らを拾うために引き返してしまって、中山平の駅前まで客を乗せてやって来ることが無い。

川渡から堺田までの765列車を牽いた機関車は、貨車編成を堺田に置き去りにして単行にて川渡へ戻る。その単766列車は中山平で下り普通列車の交換待ちでしばし停車した。この貨物列車を分割した運転については、川渡 (陸羽東線) 1972 に書いている。
ホームに単行で停まった機関車は、なかなか画角にまとめられるでなく、見物に終始していたのだけれど、この観光シーズンばかりは賑わいに囲まれた。普通列車に続行した団臨は老人会の旅行でもなさそうなのだが、圧倒的に年配者が多い。若い世代は機関車を見つけて記念撮影に興じるも老人達は見向きもせずに出口へ向かう。彼らにとっては蒸機など当たり前に過ぎる鉄道風景だったのだろう。

[Data] NikonF PhotomicFTN+P-AutoNikkor135mm/F2.8 1/250sec@f5.6 Y48filter NeopanSSS Edit by PhotoshopLR4 on Mac.

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コメント

恐縮の至り

ありがとう御座います。
この団臨から下車した一団は、皆が線路を渡り切るまで延々と続いて、
実を云いますと、その間に36枚撮りのロール1本を使いきっています。
後でセレクトするつもりだったのでしょうが、なかなかに気に入るカットがなくて、
これはその最後のコマでした。
この子供も混じる老人団体、今思えば紅葉黄葉見物ではなく、
収穫を終えての農家の湯治団体だったように思えます。

  • 2013/11/15(金) 01:35:54 |
  • URL |
  • Wonder+Graphics #-
  • [ 編集 ]

秀逸です

ぞろぞろ通り過ぎる観光客。
60過ぎの方が圧倒的に多いですが
撮影者を向く子供2人。
その後ろの鳥打帽のお爺さんが
前しか見ていないのと好対照。
まさに瞬間を切り取った一枚。

  • 2013/11/14(木) 11:02:37 |
  • URL |
  • マイオ #pcU4xDNY
  • [ 編集 ]

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