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70's/80's Monochrome Age and Years of Ektachrome film

落合川 (中央本線) 1987

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ここに鉄道の開通したのは、1908年8月1日の中央西線の坂下までの延長による。ほぼ現在の下り線(上り運転線)であるが、1889年に成立した落合村村域に駅の設けられることはなかった。
中央西線は延伸が続けられ、1911年5月1日の宮ノ越-木曽福島間の開業により中央東線と繋がり、昌平橋-名古屋間が全通して中央本線と改められた。それにて、この坂下から中津川の9.9キロ区間も運転本数は飛躍的に増加したものと思われ、それが交換設備を有したものか、或は単に閉塞区間を区分したものかは分からないのだが、線路容量の拡大を要して1913年9月10日に落合川仮信号所が置かれた。これが1917年11月27日付にて駅へと昇格したものである。
一方で、ここの木曽川には1926年に大同電力による落合ダムが竣功している。木曽川水系における電源開発は1900年代初頭には構想されていたと思われ、それは1910年の名古屋電燈の手による八百津発電所の起工に始まる。
中央西線の線形設計時点で、このダム計画が存在し、それの考慮されたものかは分からないのだが、線路はダム堪水標高を上回る位置を通過していて、それの移設や施工基面の嵩上げの行われた形跡は無い。落合峠から20パーミルで下った線路の標高をあまり下げること無く、坂下への勾配に繋げた線形が功を奏したのだろうか。ダム建設前なら、それは谷の中腹を往く姿だったはずである。

坂下への瀬戸山隧道手前には、名古屋からの列車が最初に木曽川本流を渡る第一木曽川橋梁が架橋された。河畔までは降りない線路であったから、それは高い橋脚に橋梁長も要して支間306ft.3in.の下路ペチット型のピン結合曲弦プラットトラスがアメリカンブリッジ社に発注された。三留野(現南木曽)-田立間に所在した第5木曽川橋梁( * )と同形で、架橋当時には河床から雄大な姿を見せていたであろうが、水面の上昇して貫禄はやや損なわれることになった。
ここには、1968年9月25日の複線運転化に際して下流側に支間94mの下路式単純トラス橋が架けられ、新旧トラスが並んで好対照を見せていたのだけれど、下り線(上り運転線)となった旧橋は1972年4月24日に使用を停止し、前記と同形のトラス橋に架け替えられて現存しない。
けれど、現在もこの二つのトラス橋は、近接した位置からは勿論、山腹の国道からの俯瞰も含めてここでの鉄道景観を為している。

( * ) 建設時は中央西線の第二木曽川橋梁であった。ところが同時期に建設の中央東線側でも藪原以西の木曽川架橋に第一から第四の木曽川橋梁と命名した。保線区境界が木曽福島とされていたため不都合はなかったのだが、これが田立に変更された際に重複を避けて第五木曽川とされた。

下り線を往く列車は830M、中津川行き。松本運転所の169系による運用である。
現在上下線のトラスは全くの同一設計。増設線(上り線)の支間も既設線に合わせられて100ミリしか違わない。

[Data] NikonF3P+AiNikkor105mm/F1.8S 1/500sec@f5.6 Fuji SC48filter Tri-X(ISO320) Edit by PhotoshopCS4 on Mac.

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