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70's/80's Monochrome Age and Years of Ektachrome film

岩館 (五能線) 1983

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五能線の無煙化は、広戸-追良瀬間での8620蒸機の転落事故の記憶も生々しい1973年3月のことであった。
これに際しては、DE10内燃機の8両が弘前運転区に集められたのだが、何れも五能線運用には使用しないはずの蒸気発生装置の搭載車だったことを訝しく思ったものだった。ご丁寧にも1両が配置された除雪用のDE15も1000番台車であった。
ご承知のとおり、ここの運用客車は混合列車での貨車前位組成から各車で独立暖房を装備していたのである。
同じ秋田鉄道管理局や隣接する盛岡・仙台局管内で同時期にまとまったDE10の配置の在った各区では、旅客列車仕業の無い区所は勿論、それを持っていた区所でも非搭載車との混配置が見て取れるから、この措置は何らかの意図のあったものと思う。
それの稼働を前提にしていたとすれば、客貨分離しての貨物列車の設定を想定したとも思えるけれど、線内での貨物発着の少ないゆえの混合列車だったから、例え財源が1車でも運転せねばならないそれは考え難い。貨物扱い駅の集約を見越した貨車後部組成化の計画でも在ったものだろうか。弘前-川部間での逆向き運転は残るけれど、それなら給油などメンテナンスを要する各旅客車の温気暖房機の使用を停止出来るから燃料経費の低減にも繋がる。この後に増配置された4両も蒸気発生装置搭載車であった。

1983年春には次期ダイヤ改正での貨物輸送の大幅なシステムチェンジが囁かれ始めていた。車扱い貨物輸送からの大幅な撤退となれば、混合で設定なればこその五能線客車列車などひとたまりもあるまい。その夏の渡道に際しては、前夜を弘前に宿を取ってそれへの名残り乗車を目論んだ。
この最終期の五能線には、弘前運転区のオハ62-2両/オハフ61-15両の配置を以て、それの5両組成の3組使用による[秋21]運用にて12本列車が設定されていた(内1本は回送列車)。その半数は[秋荷3]運用のオハユニ61を東能代方に併結した6両編成であった。運用の合理化から途中解結は廃され、朝方の輸送力列車も昼間の全線の通し列車も全て同一組成である。この編成長では貨車の後部組成は最早あり得ない。

翌朝に弘前から乗った1730列車のハイライトシーンが、この岩館での1735列車との離合だろうか。今時なら人垣の出来そうなものだが、この時そこに立ち会ったのは自分ひとりだけだった。
DE10141は盛岡からの転入車。対向のDE101198は弘前への新製投入車である。

[Data] NikonF3P+Distagon 28mm/F2.8 with Adapter 1/60sec@f8 Fuji SC52 filter Tri-X(ISO320) Edit by PhotoshopLR4 on Mac.

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