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70's/80's Monochrome Age and Years of Ektachrome film

吹越 (大湊線) 1973

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その半島の恐山山系を陸繋島に例えれば、基部は巨大な砂州に見える。
実際に、そこは陸奥湾から太平洋岸へ起伏の少ない緩やかな地形が続き、かつて運河開削の計画が論じられたこともある(*)。

大湊線は、ここを陸奥湾岸に沿って、ほぼ直線の線形にて北上している。その設計は、迂回すべき地形も立ち寄るべき集落も無かったことを物語る。1921年の大湊までの全通時の中間駅は僅か4駅であった。
その後に、その駅間を埋める新駅の設置は在るものの、それでも有戸-吹越間の13K380Mは内地線区と見れば格段に長い。
陸奥湾岸とは言え、海岸線に接近する区間は、同駅間の野辺地町/横浜町の町境を越えた起点17K付近からの約4キロメートルに限られ、これは吹越から歩いた方が近い。国道279号線も並行していたけれど、やや間隔の空いていて、線路歩きしか到達手段は無いのだった。

写真は、起点20K付近からの783列車。
この当時の観光ガイドブックにも「ハマナスの咲く海岸」の記述があって、それを期待していたのだけれど、そこに浸食の激しい荒涼とした光景が広がるのみであった。背後に低いハイマツの続く海岸線は北海道ならば知床であろう。
C11は、大湊線管理所に3両の配置が在り、1両使用/2両予備で運用されていた。

(*) - 青森県の地方紙「東奥日報」の主筆であった成田鉄四郎が、1894年に刊行の『陸奥湾之将来』で提唱したと云う。
出典 : 河西英通『東北-つくられた異境』 2001年 中央公論社

[Data] NikonF photomicFTN+AutoNikkor50mm/F2  1/500sec@f5.6 Y48filter Tri-X(ISO320) Edit by CaptureOne5 on Mac.
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