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70's/80's Monochrome Age and Years of Ektachrome film

会津本郷 (只見線) 1972

aizu_hongo_02-Edit.jpg

会津にC11を撮りに往くのは会津線の方だった。福島・磐梯の特殊用均一周遊乗車券の自由周遊区間に只見線が含まれなかったからでは無く、川幅のある只見川への多くの上路式トラス橋梁が雄大に過ぎたゆえと思う。使えるレンズも限られたこの頃には、それらの何とも単調な絵柄が気に入らず、画角にまとめるなら上三寄から湯野上で峡谷を刻む大川(阿賀川)沿いの会津線だったのである。
一通り撮ってみて、そう結論していたものだから手元に残る只見線のカットは少ない。

只見線も若松市街地を抜けたところで大川を延長437メートルもの大川橋梁で渡っていた。会津盆地に流れ出てからの大川だから、広い氾濫原を持っているのである。橋脚を連立させての経間の短い22連のプレートガータでの架橋は、1926年10月15日に会津坂下までを開通させた当時の、経費を勘案した架橋技術と云うことなのだろう。
会津本郷からなら至近の距離なのだが、蒸機列車の前後に適当な列車が無くて西若松から歩いたものだった。

期待していなかったロケーションは、足の短い橋脚の低い架橋が開けた周囲に馴染んで意外に面白く感じたものの、やって来た会津坂下までの区間貨物1493列車のあまりに少ない財源には落胆した覚えが在る。以前に見かけた同列車はそれなりの貨車組成だったものだから、画角ももう少し左に振った位置を想定していて、慌てての中途半端は否めない。

会津坂下に転車設備はの無いゆえの機関車運用は、そこまでに勾配はほとんど無いにかかわらずセオリーどおりの下り逆向きであった。軽い財源に列車は思いのほか足早に駆け抜け、それが都市近郊快速運転用とされたこの機関車の本来の姿とは後年に知った。
湯野上あたりでの紅葉黄葉は、まだ盆地まで降りて来ていない。

[Data] NikonF PhotomicFTN+P-AutoNikkor50mm/F2 1/500sec@f5.6 Y48filter  NeopanSSS  Edit by PhotoshopLR4 on Mac.
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コメント

Re: 同感でした

いつも、ありがとうございます。レスポンス遅くなり申し訳ありません。

マイオさんもでしたか。
そうなんです。トラス橋群が雄大に過ぎて、それを撮らされ居る気がしていしまい、
作画の面白さが無かったのです。
まあ、未熟だったのかも知れませんが。会津線側は大川の狭い峡谷がまとめ安かった訳ですね。

川口から先、確かに東日本旅客鉄道は復旧する気なし、ですなあ。
この只見線は、長野から郡山へ抜ける最短経路でして運賃は恐ろしく安かったんですがねぇ。
大糸線撮影から磐越東線へ抜けるのに数回使いましたっけ。

  • 2013/10/08(火) 21:47:47 |
  • URL |
  • Wonder+Graphics #-
  • [ 編集 ]

同感でした

会津線と只見線あるいは日中線の
選択肢があったとき、日中線は
撮影効率と沿線風景から選ばず。

只見線はあまりにも有名鉄橋群が
自己主張するため、かえって画に
ならぬとばかりに会津線ばかりを
選びました。まさか、会津線が
盲腸線ではなくなり、只見線が実質
盲腸線に逆戻りするとは。

  • 2013/10/07(月) 16:18:33 |
  • URL |
  • マイオ #pcU4xDNY
  • [ 編集 ]

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