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70's/80's Monochrome Age and Years of Ektachrome film

豊後中川-天ケ瀬 (久大本線) 1986

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沈下橋である。
地域により幾つかの呼称があるが、大分県域では「沈み橋」と呼ばれて、全国でもそれの架橋例の多い地域と云う。天ケ瀬から豊後中川へだいぶ歩いた久大本線の第5玖珠川橋梁の直下を交差して沈み橋が在って、北海道にはまず例の無いものだけに珍しく眺めたものだった。この玖珠川の流域には他にも架橋のあるようだが、鉄道の無いところへは往かないので実見したのはこれだけである。D60蒸機の走った時代の写真を見ると、杉河内手前の第9玖珠川橋梁近くにもそれが見て取れるものの、この頃には永久橋に架け替えられていた。

当然ながら沈下橋は谷を刻む流れには架橋されない。大分県域に例の多いのは、この区間のように山中の谷間ながらも谷底平地を持ち、そこを流れる河川が幅の在る浅い河床を形成する地形が広く存在することを示している。
加えての石橋も特徴的に思う。木製の沈下橋の地域では「流れ橋」との呼称もあるそうだから、ここでは確かに「沈み橋」なのであろう。それは低く河床に張付くように架設されている。
石橋には、この地域では日田石と呼ばれる安山岩質の石材を産出したから身近な材料だったに違いない。さらには、江戸時代末期からの肥後石工に師事した豊後石工たちの存在もあるように思うが、彼らの技法の主体は眼鏡橋(アーチ橋)だろうから、その技術の発揮されたではなさそうだ。
この橋に限れば、空中写真の確認から架橋は戦後1950年代のことと思われる。

第5玖珠川橋梁上の列車は639D、大分行き。
キハ58に挟まれたキハ40の車体塗色は、この年から国鉄九州総局が管内配属の普通列車向け運用車の標準として採用したもので、白色3号を基本に窓下に青色23号の帯を配していた。それまで青色23号を使用した国鉄車両は存在しなかったのだけれど、双方とも国鉄制定色に違いなく、九州旅客鉄道に引き継がれたこの塗色も国鉄色だろう。

橋梁近傍、上ノ釣集落の住民に聞けば、ここの「沈み橋」は名を持たないようだった。

[Data] NikonF3P+AiNikkor50mm/F1.4S 1/500sec@f5.6 Fuji SC52filter Tri-X(ISO320) Edit by PhotoshopLR4 on Mac.
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