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70's/80's Monochrome Age and Years of Ektachrome film

陣場 (奥羽本線) 1976

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奥羽本線の矢立峠区間の勾配改良と複線運転化は、その核心である矢立トンネル(3180M)を含む白沢-長峰間22.5キロに別線を新設する大規模な工事であった。

新線の矢立トンネルは、1968年に着工して温泉肥沃土の地質に悩まされながらも翌69年7月31日に貫通し、1970年10月1日に完成、同年11月5日よりこの区間の複線運転を開始して、矢立峠の峻険を越えていた旧線が失われた。これに際しては、トンネルの福島方では施工基面高101M80の白沢から同190Mに置かれた入口抗口までの10パーミル勾配の維持に陣場構内の嵩上げを要し、さらには白沢から将来に下り線となる増設線が陣場手前の福島起点416キロ付近で既設線を支障するため(キロ程は既設線基準)、白沢-陣場間についても起点414キロから前記の416キロまでは既設線に沿った単線、前途陣場構内までが複線の路盤を新設し、この区間を将来の上り線を使用した単線運転にて既設線より同時に切替とした。
白沢-津軽湯の沢間が新設線の運転となったのであるが、単線路盤の区間には、将来に勾配を下る上り列車の運転線ゆえ15パーミルが存在して、蒸機運転当時に補機の残る要因ともなっていた。
陣場停車場は前記の嵩上げに際して、東に構内を拡張して新線上に駅施設を移設した。同一位置、構内のためそれと扱われていないが実質的に移転であり、白沢方には上下線を分ける分岐器が置かれた。津軽湯の沢も出口抗口付近への移転を要し、此処にも碇ヶ関方に分岐器が設備された。これにて両駅とも運転扱いが残り、引続き要員が配置されていた。

移設された津軽湯の沢から長峰までの区間は、13.5から15パーミルの介在した線形の10パーミル連続勾配への緩和と碇ヶ関-長峰間の唐牛トンネルが電車線架設に断面が不足するため、第3から第5の平川橋梁の老朽化対策と曲線改良を兼ねて、第3平川橋梁の下り方起点430K500M付近までに、ほぼ既設線に沿った複線路盤を新設した(碇ヶ関構内を除く)。これにて、各橋梁はPC桁の新橋梁に移行し、複線断面の碇ヶ関トンネルと(新)唐牛トンネルが新設された。複線運転の開始は1971年8月31日のことと記録される。
けれど、当時にここを列車で通過した記憶からは、少なくとも津軽湯の沢-碇ヶ関間については前記の矢立トンネル供用開始と同時に単線運転で新線に切替えられたと思われる。ここでの記述は手元の秋田鉄道管理局による線路縦断面図や線路略図などの資料に基づくが、肝心の盛岡工事局の局史や工事記録を国会図書館が収蔵しておらず閲覧していないものだから確証がない。
(この項続く)

列車は、松原トンネルを経由する下り新設線上の711D<千秋1号>青森行き。
前2両が米沢からの、キロ28を含む後部4両が仙台から陸羽東線を経由しての編成であった。<もがみ>を後部に連結した仙台編成の姿は、東鳴子 (陸羽東線) 1975 に在る。

[Data] NikonF2A+AiNikkor50mm/F1.8S 1/500sec.@f4 Y52 filter Tri-X(ISO320) Edit by PhotoshopLR4 on Mac.
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