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70's/80's Monochrome Age and Years of Ektachrome film

会津若松 (磐越西線) 1971

aizu_wakamatsu_01-Edit.jpg

この頃、夜行の<ばんだい5号>か6号で会津若松に着いて、誰もが目撃した光景だと思う。
1番ホーム到着のそれから跨線橋を急げば、2番ホームに5時30分の新潟行き221D、3番に5時22分の小出行き423D、そして4番には5時17分に出る喜多方から熱塩直通の621が接続客を待っていた。会津滝原行きの321Dは423D発車後に入線する。(当時5番ホームは整備されていなかった)

会津地域の鉄道へは、東京から近いこともあって北海道への旅に絡めるよりも単独でスケジュールを組むことが多かった。2・3日の休みでもあれば、往復を夜行として十分に撮れたからである。
加えて、1970年の10月に発売されていた特殊用均一周遊券(所謂ミニ周遊券)の存在も大きかった。これの「福島・会津磐梯」の自由周遊区間は、只見線が除外され、会津線も湯野上までだったけれど、郡山駅の常宿への往復に欠かせず、白石までが含まれたそれにて東北本線国見峠との組合せも可能であった。

郡山駅の常宿とは、そこの第二乗降場(3・4番ホーム)に在った待合所である。
深夜でも東北本線列車の発着のあって開放されていた、ここのお世話になった鉄道屋は多いと思うが、木造の古い造りのそこには木製ベンチが置かれ、冬ならば石炭ストーブが焚かれていて、上級の駅寝の楽しめた。煩雑に通過する貨物列車の轟音には閉口したものではあったけれど、朝4時に上野からやって来る<ばんだい>に乗れば、また一日会津での撮影と云う訳で、それはいつも、この光景から始まるのだった。

423D後部車はキハユニ26である。郵便室に入りきらぬ郵袋が貫通路にまで積まれていた。鉄道が郵便輸送の中核を担っていた証であろうか。
621列車を牽くC11 64は、この後まもなく会津若松運転区を去り、梅小路蒸気機関車館の発足に参集した。

[Data] NikonF+P-AutoNikkor50mm/F2  Bulb@f8  Non filter NeopanSSS Edit by PhotoshopCS3 on Mac.

余談であるが、このカットは、621列車の出発合図に出張っていた当務助役に許可を請うて撮っている。
今なら、当然に不許可であろうが、彼のその際の返答は「ホームの登り降りに注意せよ」で、列車の往来についてでは無かったのである。この位置に三脚を置いて、621の出発を見送り、後追いのカットまで撮っている。
鷹揚な時代と云うべきか、蒸機ブームの頃とは言え、その撮影者は、今鉄道にカメラを向ける人々の数の比ではなかった。
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コメント

Re: 会津の旅

こんばんは。

この熱塩行き、会津/只見線の奥へと気が急いて、実は乗っていないのです。
それは、これがDE10の牽引になってからのこと。
それすら、乗って往復しただけ。
せめて、熱塩での機回しだけでも撮っておけばと悔やまれる次第で。

貨物列車は、郡山構内なのに結構な速度で通過してましたからね。
最初に、機関車がグォォォォダダダダと来て、後は2軸車のギィィィダンダンダンダンで、
中間にコキ5000のあろうものなら、ガジャンガジャン・ガジャンガジャン。

  • 2012/12/05(水) 01:25:06 |
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  • Wonder+Graphics #-
  • [ 編集 ]

会津の旅

こんばんは。

会津若松の日中線始発列車、いろいろな人に見せて頂いています(^^;
気怠い夜行列車から解放されて、初めて目にする蒸気だけに、
皆テンションが上がったんでしょうね。

郡山の待合室、寝ましたとも。
私の頃は建て替わって、石油ストーブだったと思いますが。
貨物列車の、あの雷のような音で飛び起きたのは私だけでは無かったかとつい笑っちゃいました。

  • 2012/12/03(月) 21:59:54 |
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  • 風太郎 #ORZvdv76
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