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70's/80's Monochrome Age and Years of Ektachrome film

藪原 (中央本線) 1972

yabuhara_01-Edit.jpg

1972年9月の中央西線への旅は、物見遊山の気分だったのである。
全線で電化柱の建植も終わったとの情報も得ていたし、沿線への撮影者の出没も多かろうと思われたから、長野で高名な善光寺とやらを覗き、松本から未乗の大糸線を往復したら、折からのDiscoverJapanキャンペーンで浮上した馬籠宿に妻籠宿の様子を眺めに行って、そのついでに蒸機を撮ろうなどと考えていたのだった。なので、南木曽-田立 (中央本線) 1972 に書いたように東京の残暑そのままの出で立ちで出掛けてしまった次第で、撮影機材も軽量化していたし、足元は何とサンダル履であった。
それでも、藪原から国道をサンダルでペタペタと歩き、1966年9月27日の複線化にて架橋された上り線(下り列車運転線)の第二木曽川橋梁に辿り着くと、そこはPC桁に架線まで吊架済みの近代路線然としたロケーションだったのだけれど、やって来る大型蒸機に見入る内に鉄道屋の本性が目覚め、その日の内には運動靴にソックスにパーカを買い込み、しっかりと撮影モードに転換したのだった。結局、馬籠・妻籠には現在まで往かず仕舞いのままである。

この当時の中央西線は、急勾配途上の隧道配置の関係から下り列車の中津川-木曽福島間を後補機とした以外は、補機の次位連結を基本としており、そこは重連の領域であった。上りの木曽福島以南は補機を要しないが、それは中津川への回送と運用によっては落合川からの落合峠に備えてのものだった。
所定では1両牽引の列車でも大抵は重連でやって来たのは、秋の繁忙期に入ってどの列車も荷が重かったためだろう。

列車は869列車、稲沢操車場から塩尻までの輸送力列車であった。
装備を立て直して再訪したこの日、ここは鷲鳥トンネルの抗口上に撮影者が居ると立てぬ場所なのだが、この日他にそれを認めることはなかった。
本務機は、まもなく進入するそのトンネルに備えて早くも集煙装置の排煙開口を閉じている。

[Data] NikonF PhotomicFTN+P-AutoNikkor50mm/F2 1/500sec@f4 Y48filter  NeopanSSS  Edit by PhotoshopLR4 on Mac.
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コメント

Re: さりとては

いつもありがとうございます。

そうなんです。
どうせ行ってもまともな写真撮れぬ、と思うものの、
何とか理屈を見つけて現地に立てば、結局のところ、その気になってしまいます。
例え、軽いスナップのつもりでホームに立っても、
すぐに光線が悪いだとか、背景が気に入らないとか、果ては、客の流れが足りないからラッシュを待とうとか。
手にしているのはコンデジだったりするのに関わらずの前ノメリも同じことかと。
そのお陰で未だにスナップは苦手だったりもします。

  • 2013/09/19(木) 22:49:23 |
  • URL |
  • Wonder+Graphics #-
  • [ 編集 ]

さりとては

中央西線、電化準備も整って
さぞかし撮りにくかろうと、
私もさして期待せずに訪問。
それが重連貨物が続々と。
思わずテンションが一気上昇。
観光モードから鉄道撮影モード
への転換、よくわかります。

  • 2013/09/19(木) 09:08:08 |
  • URL |
  • マイオ #pcU4xDNY
  • [ 編集 ]

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