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70's/80's Monochrome Age and Years of Ektachrome film

琴塚 (名古屋鉄道・美濃町線) 1984

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私鉄路線に関わる資料をほとんど持っていないものだから、この名古屋鉄道美濃町線の野一色から日野橋を経て下芥見への区間が、1911年の美濃電気軌道による開通以来の新設軌道だったのか、後に県道92号線となる道路上への敷設(即ち併用軌道)が、それの拡幅等の事由にて独立の軌道敷にパーティションされたものかは調べ得なかった。
県道と路盤を共有しているに違いは無いゆえ併用軌道とも思えるのだが、北一色-野一色間には併用・新設軌道の境界標が建植されていて、ここは書類上は新設軌道なのだった。但し、軌道法では併用軌道以外の線路を新規敷設、既設の如何を問わずに「新設軌道」と呼ぶ。

沿革はともあれ、専用の交通路を確保しながらも延々と道路と併行する例を他に知らず、美濃町線ならではの景観ではあった。1975年6月25日の田神線の新設により新岐阜発着が本線系統となって以来、徹明町からの系統は日野橋折返しともなっていたから、その意味でも岐阜市内線の延長のような区間でもあり、この当時には路面電車型低床車体のモ580や590型に札幌市交通局から転籍の連接車モ870型も日野橋以遠区間には運用されなかった。
独立の交通路とは云っても道路の一部には違いなく、民家の軒先に軌道の敷設され、それを掠めて電車の走り去る光景も独特の鉄道風景であり、この線区への何度かの訪問はそれに惹かれてのことである。前にも書いたけれど、それは廃線に間に合わなかった花巻電鉄線や福島交通軌道線の、その写真に見るばかりだった光景のささやかな追体験にもなっていた。

沿線に多数の宅地開発地に複数の大規模団地が立地するなどの沿線人口を抱え、かつ新岐阜への直通の利便性を保持していたゆえ、この日野橋付近に郊外ターミナルを設けての団地バス路線再編成などが考えられたはずだが、永年にわたる利用者の漸減を事由とした2004年度限りでの廃線は、同じ名鉄資本下にかかわらず基幹路線の県道92号線路線に固執する岐阜バスの企業エゴを背景に行政との取引に出た名鉄経営陣に対し、岐阜市当局が適切な交通ヴィジョンを示した上でのインフラ補助を含む指導力を発揮出来なかった結果であろう。
そこには、東海地区に特に顕著な自動車交通優先思想を思う。行政もさることながら、沿線住民は県道の渋滞に左右されず早く快適で定時性を保った交通機関を永久に失うのだが、その廃止提案に対する反対運動は実に盛り上がりを欠くものであった。

写真は、琴塚停留所に接近するモ870の徹明町行き。2000年に複電圧対応改造を受けるまでは徹明町-日野橋間系統に専用されていた。

[Data] NikonF3P+AiNikkor105mm/F1.8S 1/125sec@f5.6 Fuji SC48filter Tri-X(ISO320) Edit by PhotoshopLR4 on Mac.
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