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70's/80's Monochrome Age and Years of Ektachrome film

西岩出山 (陸羽東線) 1973

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従来駅名に温泉地の下車駅を強調して「温泉」を付加する駅名改称はまだしも、由緒在る地名に基づく駅名を行政があっさりと捨て去る事例は後を絶たない。
合併などにより改名した自治体名に合致させる事例が多いのだろうが、その場合の大半の自治体名称は歴史に基づかない「創作」名である。中央本線の平安期からの地名を取った初鹿野を、成立した大和町がわざわざ旧國名を冠してまで甲斐大和を名乗るには愕然としたものだ。温泉駅の前例を盾としたものだろうが、同じ中央線の勝沼は今や勝沼ぶどう郷と云う。駅名は地元自治体のおもちゃでは無かろうに。2次交通の開設も無いのに下車駅を名乗らせた山陰本線の出雲大社口は非難を浴びて神西に戻すかと思いきや、名残惜しそうに出雲を付した出雲神西としている。
ついでに言及すれば、第3セクタ鉄道など鉄道側での駅名遊びも愚の骨頂であり、愛称ならともかく小石浜を恋し浜などと公示までした三陸鉄道には呆れ果てた。鉄道業は基本的に輸送業である。

その点、岩出山町の請願により1964年2月1日に国鉄が西岩出山として設置した駅員無配置駅を、陸羽東線の観光路線化を目論んだ東日本旅客鉃道仙台支社と沿線自治体との協議に乗じて、現地の旧字名である上野目への改称を果たした大崎市(旧岩出山町)の動きは近年の自治体としては希有な例と云えよう。
目地名は全国に散在するが、広義の仙台平野には事例が多い。それは境目の目、すなわち土地所有や利用。地形の変化点に由来すると云われている。

駅は田園地帯の直中に在って、設置当時の短いコンクリートブロック積みの乗降場に、簡易構造での延長部から成っていたけれど、それでも長い編成の気動車列車はホームを外れて停まり扉から飛び降りた覚えが在る。
ここから少しばかり岩出山方向に歩くと第一荒雄川橋梁(438M)が架橋されていた。

1973年の夏には排雪用内燃機関車を転用して暫定的に無煙化されたのだが、冬を前にして全運用に蒸機が復活との報に夜行<いわて>を小牛田に降りたのだった。この日は、午後の貨物列車を撮るのが定番だったここに、始発で向かった。

列車は1791列車。川渡止まりだけれど、財源は765・1795と継送されて新庄まで往く。
この長い橋梁は、大半は氾濫原を渡り左岸に沿う水流は画角に入らない。鉄道院が1914年4月19日の陸羽線としての開通時に架橋した橋梁である。

[Data] NikonF photomicFTN+AutoNikkor50mm/F2 1/250sec@f8 Y48filter Tri-X(ISO320) Edit by CaptureOne5 on Mac.
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