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70's/80's Monochrome Age and Years of Ektachrome film

江津本町 (三江北線) 1974

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三江線が口羽に達して全通するのは翌年のことで、この1974年には浜原までの三江北線の時代である。加えて、1972年7月の集中豪雨による第一江川橋梁の流失などにて明塚-浜原間不通となっており、ようやく国道が復旧して代行輸送が始まっていた頃である。余談ながら、それまでは第一江川橋梁手前に野井仮乗降場を設けて前途を渡船連絡とし、旅客列車は同駅折返しで運転していた。この仮乗降場は明塚の5キロ程先なのだが、運転、営業上とも明塚駅構内扱いであった。
まだ蒸機の、それも残り少なくなったC56の牽いていた貨物列車は石見川本着発として、本来の1391・1392を朝の下りは江津を50分程繰り下げ、夜の上りは石見川本を2時間繰り上げた変1391・変1392列車にて運行していた。
この年に幾度か通った西山陰への旅では、当然にこの線の撮影を目論んだけれど、この当時ゆえに事前情報も乏しく全線をロケハンするにも列車も少ないとあっては、早速に江川沿いである僅か1キロ先の江津本町あたりでお茶を濁したのだった。
この日は、前夜に米子から下り夜行<さんべ>の客となって深夜の江崎に下車、20分後の上り<さんべ>に乗換えて4時過ぎに江津へ降りたと記録にある。
そこが石見國江津の本来の街なのかは知らぬのだが、山陰本線の江津から丘陵をひとつ隔てた川沿いの谷に屋根の低い石州瓦の趣在る街並が形成されて、三江北線はそこを築堤と第一/第二の江津橋梁で通過していた。江川を渡らない橋梁である。ちなみに、この区間の開通の28年後に設けられた江津本町駅は、この市街地をさらに江津トンネルで抜けた位置に設けられ不便であった。
今は廃橋になった江津橋を渡ると順光を受けてしまうゆえ、民家の背後に足場を見つけて登った。

列車は、石見川本への変1391列車。
列車の仕立ては浜田で行われ、江津までは山陰本線を運転する。江津も含めて三江北線は線内に転車台を持たないから、C56は浜田から逆向運転であった。帰路の変更1392列車はその逆である。1930年代に国有鉄道建設規程(1929年7月15日鉄道省令第2号)の特認、後に国有鉄道簡易線建設規程(1932年5月27日鉄道省令第8号)に準拠して建設されたこの線区は、その想定需要に始めからC12なりC56の運用を前提に転車台設備を省略したものだろう。この場合、主に勾配を上る側の列車が逆向き牽引となっていた。
ここのC56は、1974年12月29日の浜原までの復旧を待たずにDD16に置替られたと聞く。

[Data] NikonF2A+AiNikkor50mm/F1.4 1/250sec.@f8 Non filter Tri-X(ISO320) Edit by PhotoshopLR4 on Mac.
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コメント

Re: こちら側からとは

ありがとうございます。
対岸からのベタ順光では撮る気がしなかった訳でして。
所定なら夜になる上りが、時刻変更で繰り上がり夕方に走っていたので、
それを橋なり対岸から撮れたはずなのにパスしてしまったのが、
些か心残りではあります。
この時には気がつかなかったのですが、プリントしてみると橋の上にご同業の姿が。

  • 2013/09/06(金) 03:03:49 |
  • URL |
  • Wonder+Graphics #-
  • [ 編集 ]

こちら側からとは

逆光側から家々の瓦越しとは・・・。
まったく思いがけない構図です。
しかも太陽の位置からすると、
江津橋と重なる一瞬前しかチャンスがない。
これはすばらしい一枚です。

  • 2013/09/05(木) 08:58:17 |
  • URL |
  • マイオ #pcU4xDNY
  • [ 編集 ]

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