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70's/80's Monochrome Age and Years of Ektachrome film

碇ヶ関 (奥羽本線) 1983

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津軽平野が南に尽きる大鰐からの矢立峠への平川流域は温泉地帯である。温泉好きとしては、その中の幾つかには泊まっている。勿論矢立峠を含むこの区間での撮影に併せてのことである。
古くは、1969年の親父に連れられての道南旅行の際、青函を越えて足を延ばして相乗温泉に宿泊したことがある。情報の乏しい時代ゆえ、札幌からの予約で峠近くの山峡の宿を想像していたそこの、温泉プールを筆頭にしたレジャー施設には親子ともども面食らった覚えが在る。それでも、峠に向かう前補機、後補機の蒸機の谷間に響き渡る轟音には驚き、床に入っても胸の高鳴ったものだった。その翌日の撮影は、決して鉄道屋ではなかった親父の何万と云うカットの何処かに埋もれているはずだが、まだ辿り着けていない。
湯の沢温泉には、それから随分と後に津軽湯の沢駅で雨に降られた際、思いついて駅前から電話を入れると迎えに来てくれると云うので泊まりを決めたことがある。この平川支流の湯の沢を遡れば、その沢沿いに3軒の宿が在ったのだが、この時泊まった「湯の沢山荘」はとっくに廃業してしまい、最後まで残った一番奥の(これが本来の湯の沢温泉)「秋元温泉旅館」も2102年秋に休業(実質的廃業)して、失われた温泉地となった。
ここが何れも後継者に恵まれずに廃業に至ったのに対して、秋田側の日景温泉は娘さんがこれを継いで現在も盛業中である。大湯沢を遡った谷間の1軒宿だけれど規模は大きく、旅館部の本館を始め湯治部の建物が散在していた。温泉は勿論、その古い木造の落ち着いた佇まいに、渡道の予定を遅らせて二泊をここで過ごしたものだった。
若くして亡くなった大館出身の友人が、その病の原因も突き止められぬ頃に医者の勧めで療養していた地でもあり、湯治のじさまばさまに囲まれての生活を見舞った思い出もある。

かつて補機の解結駅だった碇ヶ関も温泉地である。1895年10月21日に青森からの終端駅として開業した停車場が集落の手前に置かれた関係で少し歩かされるのだが、平川を渡ったそこには小さいながら温泉街が形成されていた。
翌朝、その日は津軽湯の沢までゆっくり歩くつもりでいたので、まずは車窓からも見えた大山祇神社へ向かい、線増工事で生じた切取りの小山から民家の裏庭を見下ろした。
8502のスジでやって来たのは、12系による創価臨。宗教的な事由なのか、暑い日にかかわらず冷房を使用していない。

[Data] NikonF3P+AiNikkor28mm/F2.8S 1/250sec@f8 Fuji SC52filter Tri-X(ISO320) Edit by PhotoshopLR4 on Mac.
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