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70's/80's Monochrome Age and Years of Ektachrome film

福来信号場-焼石 (高山本線) 1988

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国鉄が高山本線の「総合輸送改善計画」を発表したのは1967年のことだった。当時の中部支社によるプレスリリースには「現在の単線鉄道を前提としつつ、その単線鉄道に近代的な技術・施策を総合的かつ集中的に施行し、単線鉄道の抜本的な衣替えをはかることによって複線鉄道に近い効果を発揮させるようとする線区総合輸送改善計画」と在る。
同文書は計画に至った事由を、旅客・貨物ともに1950年代後半以来の輸送量の伸びが、同規模の亜幹線である磐越西線や日豊本線に比して遥かに大きく、沿線に高山や下呂のごとき観光地を擁し、北陸と東海地区とを短絡する重要線区にあっては現状設備では今後の輸送需要に応えられないためとしている。
計画は、設備面で内燃車投入による全線での完全無煙化、線路容量を上げる信号場や既設停車場への行違設備追設、そして全線へのCTC制御方式の導入の各施策により、列車増発に到達時分の短縮を図り、併せて線区営業体制を強化して、総合的な線区の体質改善を行うものと説明されていた。
けれど、この1960年代後半は米原経由で東海地区と富山方面を結ぶ北陸本線は各所で勾配改良に線増が進められ、電気運転も糸魚川まで達していた時期である。早晩に貨物需要の転移は予期されたし、観光需要も飛騨古川以南区間に留まることも予想の範囲に在っただろう。
高山本線「総合輸送改善計画」が国鉄部内においてモデルケースとされたのは、CTC制御導入による省力化を中心とした経営改善効果であり、それがこの計画の本質であった。線区営業体制「強化」とされたのは、国鉄に対してであり、貨物扱い駅の集約化や多くの駅での駅員無配置化を伴っていた。
列車運転とその管理の近代化の手段として1958年5月に伊東線で試行され、1962年に横浜線へ本格導入されたCTC制御方式は、この高山本線でその本来目的とは異なる「成果」を踏まえて、以後国鉄はこれを線区経営改善の道具として全国的に活用することになる。

計画は1967年度を初年度とした3年計画であり、飛水峡、福来の信号場の新設、千里への交換設備設置、白川口と飛騨古川での本線有効長延長に各急行列車停車駅での乗降場有効長の延伸が進み、先行した高山-猪谷間の無煙化も1968年1月21日を以て達成して迎えた、1968年10月1日のダイヤ改正が計画半ばでの第一次輸送改善とされて、高山以南区間での一定の無煙化とCTC制御の本格運用により特急列車を含む優等列車増発に所要時分短縮が実現した。
けれど、これにて十分に「成果」の確かめられたものか、工期の関係からの高山以北区間でのCTC制御運用を1969年9月30日として計画は縮小されてしまい、当初計画の焼石-少ケ野間と飛騨小坂-渚間、坂上-打保間の信号場に飛騨宮田への交換設備配置、坂上と笹津での本線有効長延長は実現せずに終わっている。

写真は、下原ダムの堰止め湖岸での871列車。飛騨一ノ宮構内に在ったセメントデポへの列車である。
全線を通す貨物列車は1984年2月改正で廃止されており、中間区間には、このセメント列車と上枝への石油輸送列車だけが残されていた。

[Data] NikonF4s+AiNikkor50mm/F1.4S 1/250sec@f8 Fuji SC52filter Tri-X(ISO320) Edit by PhotoshopLR4 on Mac.
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