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70's/80's Monochrome Age and Years of Ektachrome film

楢原 (会津線) 1972

narahara_01-Edit.jpg

会津線は、その核心区間とも云える桑原から湯野上の先までの大川(阿賀川)の峡谷区間を抜けると、田島盆地へと続く広い谷に出る。大川はそこにも渓谷を刻んで流れているから、平地は河岸段丘面である。
弥五島から楢原へも、その段丘面上を通過するものの、途中にて大川の攻撃斜面側の断崖を橋梁に橋坂トンネルを穿っての線形となっていた。大川屈曲部への二度の架橋よりも隧道が有利との選択なのだろう。比戸岩と呼ばれる断崖は、会津滝ノ原までの前途に、加藤谷川橋梁に山王川のコンクリートアーチ橋程度しか見るべき構造物の無い中では、それなりのポイントになっていた。当時には、河岸の木々の樹高も低くて国道から畦道を辿れば対岸を容易に見通せたのだった。

この当時に、既に会津滝ノ原での貨物扱いは廃止されて、貨物列車は会津田島までの2往復が設定されていた。全線での牽引定数18(180t)に対して、桑原-湯野上間に存在した20‰勾配に上り列車での後補機運用も組まれていたのだが、輸送量が低下していた時代ゆえ施行を実見したことはない。
朝の下りの1391と、それが夜間に上る1392はトキやトムの無蓋車中心の組成にて、田島への貨車には違いないが、夜間にかかる1392を見ていないものだから上下のどちらが積車か、果たして積荷は何であったかは分からぬままである。下りのそれはシートが掛けられていたから、これが積車かも知れないけれど、そうとすれば積荷の嵩高は無蓋車の車高を超えぬものである。
1393と1390は昼間に湯野上で交換するダイヤとされ、これらは無蓋車を改造した木材チップ専用車中心の組成にて、これは勿論上りが積車であった。

写真は、第一橋坂橋梁(39M)上の1391列車。
機関車次位に緩急車を置いて、一般貨車組成の後位側に無蓋車が組成されていたこの列車では、車高の低いそれが続くのが写真的には気に入らず、ロングショットでなければ意図的に画角から外していた。
橋梁下の廃道は国道121号線の旧道である。

[Data] NikonF PhotomicFTN+P-AutoNikkor135mm/F2.8 1/500sec@f4 Y48filter NeopanSSS Edit by PhotoshopLR4 on Mac.
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コメント

Re: こういう風に

こちらにも、ご訪問ありがとうございます。
国道の廃道を辿ったでなく、現国道から田圃の畦道を川の方へ踏み込んだ位置です。
Googleとかで確認すると、今は樹木が成長して線路が隠されてしまっているようですね。
楢原も、会津下郷とか駅名の変わっていて、楢原で良いのに。

  • 2013/08/24(土) 00:52:40 |
  • URL |
  • Wonder+Graphics #-
  • [ 編集 ]

こういう風に

ここも接近せず国道から安易に
横位置で撮影したのみでした。
長い間、自分でもどこで撮影したか
謎の一枚でしたがようやく分かりました。ありがとうございます。
廃道を伝っていくとこういう画角が
得られたのですね。

  • 2013/08/23(金) 09:31:05 |
  • URL |
  • マイオ #pcU4xDNY
  • [ 編集 ]

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