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70's/80's Monochrome Age and Years of Ektachrome film

小波渡 (羽越本線) 1972

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北陸本線・信越本線とともに日本海縦貫線を構成していながら、それの線増計画が第二次五カ年計画から着手された前者に対して、1965年度を初年度とした第三次長期計画に組み込まれたがゆえに、隘路区間からの部分線増に終始し現状の固定されたのが羽越本線である。ご承知のとおり、それは単複を表示する地図表において、図示する縮尺が合わずに本線のみが別表示される。
計画自体が資金面にて行き詰まり1968年10月の白紙改正を成果として中止され、ここには多くの未着工区間が残されたのである。
その後には、1969年に日本海縦貫線の動力を統一化すべく無煙化には電気運転が選択され、1972年8月5日にそれは開始されるのだが、線増工事は輸送計画上から必要とする区間に限られて散発的に継続されたものの、国鉄財政の悪化から1983年に全ての計画が凍結され、1978年9月26日に使用開始の小波渡-三瀬間を最後に現状となっている。

この線区での線増は、通常の腹付け工事以外では、海岸線の断崖下の区間など災害対策から山側への隧道を伴う複線別線建設ばかりでなく海岸線廻り線を現状としての単線別線線増の選択された区間も多い。防災上に懸念の低ければ資金上から採用された線形であろう。また、複線路盤の別線を置きながら既設単線を単線のままに切替えた区間も存在する。これは、防災を優先させた措置であった。
さらには、小岩川-あつみ温泉間のごとく、住吉山トンネル(1395M)と宮名トンネル(1805M)の2本の隧道が1984年3月の竣工以来未供用にて放置されている事例もある。

この1971年当時は、第三次長期計画で着工された区間は一通り複線使用が開始されて、電気運転化工事のすすめられていた時代である。ここ小波渡から三瀬への区間に八森山トンネル通過の別線の建設されるのは後年のことで、海際の断崖区間に電化柱の建植が進められていた。
第二笠取トンネルへ歩いて山側の崖をよじ登りポジションを確保すれば、波渡崎と北西風に荒れる堅苔沢の海が背景に広がる。機関車は10‰の勾配に力行してくれた。
列車は1983列車。
北西の強風に長時間煽られた海面は、まるで洗剤を撒いたように泡立つ。

[Data] NikonF PhotomicFTN+P-AutoNikkor50mm/F2 1/250sec@f4 Y48filter  NeopanSSS  Edit by PhotoshopLR4 on Mac.
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