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70's/80's Monochrome Age and Years of Ektachrome film

大湊運転区 (大湊線) 1973

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現在も、大湊線営業所が置かれるように、大湊はこの線が大湊軽便線として1921年9月25日に全通して以来の拠点である。開業と同時に機関車の給炭/給水などの駐泊施設が設置され、それは1939年12月6日には大湊機関区となって、本線上の野辺地に逆に支区が開かれた。

大湊線は、戦後復興する国鉄路線の中に在って既に非採算線区に位置づけられたらしく、1956年10月1日から仙石線にて試行し経営改善効果の認められた「管理所」方式の導入が図られ、1958年10月20日付にて1939年に開業していた大畑線を含めて線区内の駅や機関区、車掌区に保線区などの現業機関を統合した大湊・大畑線管理所が大湊に置かれた。
その上で、所長に鉄道管理局長権限を大幅に委譲し、あたかも独立線区のように総合的に現業管理を行わせるのは現在の地域鉄道部や営業所と同じ発想である。以来四半世紀に渡ってこの管理機構は存続したから一定の経営効果のあったものなのだろうが、増収が目的ではなかったから経営合理化を極限に達成してしまえば存在意義のなくなって、1972年10月20日付にて廃止されたのだった。
その際に運転検修区所は機関区では無く、大湊運転区として再設置され、この1973年当時にはC11の3両に、キハ22-7両、キハユニ26-3両の営業車両と救援車オエ61が配置されていた。
運転区に統合されたとは云え、施設の配置は引き継がれたから、転車台と小さな扇形庫の機関庫は場内信号機手前の本線脇に、2線の庫内線を持つ木造の検修庫と庫外線の2線に洗浄線1線を有する気動車区所が乗降場を通り過ぎた構内の奥に置かれていた。検修庫には貨車も停められており、施設自体が客貨車区からの転用だったのだろう。機関車への給炭・給水の設備は機関庫から構内を横切る小荒川を挟んだ乗降場脇に在った。

ここの転車台は、回りを野の花や草に囲まれたロケーションで、輸送現場としての機関庫らしくは無いのだった。
今、東日本旅客鉄道のJR大湊寮の建つ位置である。

[Data] NikonFphotomicFTN+AutoNikkor50mm/F2 1/125sec@f8 Y48filter Tri-X(ISO320) Edit by PhotoshopCS3 on Mac.
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