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70's/80's Monochrome Age and Years of Ektachrome film

越後金丸 (米坂線) 1971

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1967年8月28日、この日早朝から新潟県下越地方および山形県中南部に降り始めた雨は、山形県小国町の24時間雨量で532ミリ、その雨域中心であった新潟県関川村では29日昼頃までの30時間雨量が700ミリを越えるなど記録的な豪雨となり、飯豊山系を水源とする三面川、荒川、胎内川の流域に甚大な被害を及ぼした。後に「羽越水害」と呼ばれる災禍である。これにて、荒川に沿って敷設された米坂線もまた壊滅的に被災したのだった。
主なものだけでも、大石川橋梁と第三から第五までの荒川橋梁で橋桁が流失し、それを免れた橋梁でも橋台や橋脚基部に洗掘を生じた他、法面に築堤の崩壊、道床消失や土砂流入箇所は数えきれぬ程であった。水没した小国駅構内に流木と共に浮かぶ貨車のニュースフィルム映像に衝撃を覚えた記憶がある。
この事態に国鉄は鋭意復旧に励み、米坂線は10ヶ月後の68年6月28日に全線で列車運行を再開した。

これを思えば、被災規模は容易に比較出来ぬし、復旧における思想も当時と現在では異なることを承知しても、同様に山間部に位置して近年に災害による長期不通を生じた大糸線や高山線、越美北線、美祢線などで復旧に要した、1年超や3年近くの期間は異例に長い。復旧費用を圧縮しつつの経過と推定され、資本の論理と思い当たる。名松線は紆余曲折の末、復旧が表明されたものの未だに着手されず、只見線では当該区間の廃線を前提に世論誘導を謀る始末で、基幹輸送機関を民営とした弊害と見て取る。
少々脱線するが、道内で相次いだ車両火災にともなう列車の運休措置についても、本来ならば全国より気動車に限らず予備車を動員して(借り入れて)代替すべき事態であり、観光特急は既定運行など国民を嘗めているとしか思えない。
それの出来ぬ(やらぬ)のも根は同じである。これら事例だけでも、極めて政治的な背景から恣意的に、且つ強引に進められた国鉄の解体政策は誤りと言わざるを得ない。

写真は、越後金丸上り方での164列車。
豪雨にて水量を増した荒川の激流は、この広い谷一杯に広がり全てを押し流した。後方川縁に見える越後金丸駅の如何にも土地には不似合いなコンクリートの駅本屋は建替えによるものである。この際には、それを一部2階建てとして、そこを宿直室兼用の避難所とした。

[Data] NikonF+P-AutoNikkor50mm/F2 1/250sec@f5.6 Non filter NeopanSSS Edit by PhotoshopLR4 on Mac.
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