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70's/80's Monochrome Age and Years of Ektachrome film

深浦 (五能線) 1984

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道内版にも何度か書いているけれど、近年に酒蔵の数は減り続けている。1940年頃には7千場余りを数えたそれは、アジア太平洋戦争戦時下の統制にて約半数まで減らし、戦後の1955年に4021場まで回復するものの、以降には減ずるばかりとなっている。偏に酒の消費量の低迷によるもので、60から70年代には合同や合併にて凌いだものだったが、80年代からこの方には廃業が続いて、国税庁による2009年度のデータでは1642場とある。これも酒造免許を有する酒造場を計上した数で、休醸蔵や醸造を他に委託した蔵元を含んでおり、実際の稼働蔵は1302場であった。

津島美知子は1978年に発表した『回想の太宰治』で、疎開先の甲府も空襲で追われ故郷金木へと向かう太宰一家の旅を振り返っている。甲府を出て2日後、上手くすれば当日中に五所川原に着けそうな奥羽線の車中で、乳飲み子も抱えて疲労も頂点に達した美知子を他所に太宰はその日の深浦泊まりを決めてしまう。それは、美味い酒を求めてのことと、美知子は書いている。
結局のところ時局柄それは果たせなかったのだが、前年に『津軽』の取材でここを訪れていた彼を再び誘った酒は、何と云う蔵元の酒だったのだろうか。生半可な知識では調べ得なかったけれど、そこの地酒に違いないだろう。
何れにしろ戦後には失われ、以後の深浦は蔵の無い街である。

酒造場の廃業の続く一方で、酒蔵を喪失した土地での地酒復活の動きがある。中には休醸中の蔵を復活するケースもあるのだが、多くは地元産の米、場合によっては水までも稼働中の蔵に持込んで醸造を委託し、それを地酒と称するものである。
これには、酒の造りは何処へでも移出/移入可能な原料米ばかりでなく、そこに湧く水に土地の気候に人の暮らしの風土の集大成と思っている酒呑みは、少しばかり困っている。
今、深浦では、その産米を白神山地の湧水で弘前市所在の六花酒造が仕込んだ「白神の詩」なる純米酒が売られている。呑んでみれば、それは酸度がやや高めに出る「じょっぱり」に代表される六花酒造の酒である。少なくとも海辺の磯ではなくて、酒呑みは困惑してしまうのだった。

ここでのポジションとなれば、やはりこの行合崎手前の岩礁海岸だろう。上を往く国道からは勿論、線路端でも、海岸まで降りても、岩礁によじ登っても撮ってみたけれど、まとめ難い手強いロケーションでもあった。
列車は1736D、東能代行き。

[Data] NikonF3P+AiNikkor50mm/F1.8S 1/250sec@f8 Fuji SC52filter Tri-X(ISO320) Edit by PhotoshopLR4 on Mac.
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