70's/80's Monochrome Age and Years of Ektachrome film

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陣場 (奥羽本線) 2011

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陣場 (奥羽本線) 1976 の続きである。

白沢-陣場間の複線化に際しての下り線となる勾配緩和線は、福島起点412キロ付近から左へ分岐し、第一下内川橋梁(102M)を架橋してR600で右回りの松原トンネル(2404M)を掘削し、第二下内川橋梁と続く盛土区間で右に回りながら416キロ付近にて使用中の複線路盤に接続する連続10パーミルの迂回線形にて建設された。ここでの勾配改良の矢立トンネルに並ぶ肝である。これは1971年9月25日に使用を開始し、ここに大館-長峰間の複線化が完了したのである。陣場、津軽湯の沢は共に自動閉塞区間の棒線駅となり、同年10月1日付にて要員無配置駅となった。
なお、この下り迂回線は上り線よりも903メートルを延長し、下り線の416K903M地点にそれを416K000Mに読替える距離更正標が建てられている。したがって、この区間を下りで通過すると416キロの甲号距離標を2度見ることになった。

こうして、1971年の8月31日には白沢-長峰間の大半が新設線に移行し、ほぼ同時に秋田-青森間が通電され(1971年8月25日)電気車両の訓練運転も始められて蒸機の仕業を置替て往くのだが、蒸機運転も残されていたからそこも蒸機列車は走った。
さて趣味的な興味は、無煙化の寸前に供用された前記の下り迂回線を蒸機列車が運転したか、である。
営業運転でなければ、それは有った。1974年の春まで、阿仁合線用に大館に常駐したC11が配属の弘前運転区と出入りする際に、不定期で貨物列車後部連結にて有火回送されていたからである。
それはさておき、本来の奥羽本線蒸機はどうだったのだろう。この区間での定期運用は71年9月26日まで施行と記録されているから、25・26日の二日間にそれの運転された可能性はある。けれど、鉄道誌にもWeb上でも写真を見たことが無い。今や高名な撮影地点となっている第二下内川橋梁の蒸機列車のカットなど話題であろうに、耳にしていない。撮影されているなら、ぜひ見てみたいものと思っている。
DD51形内燃機は通過していた。71年10月1日改正以降も1972年3月まで、電気機関車の不足から普通旅客/荷物列車の大半と貨物列車1本の牽引にそれが残存したのだが、これの写真も発表されてはいないようである。かく言う自分も蒸機撮影に忙しくて撮っていない。惜しいことをしたものとは、後になって思うことだ。

=参考資料=
秋田鉄道管理局 : 運転関係線路図(1967年) 線路縦断面図(1970年)
1971年度鉄道統計年報 : 日本国有鉄道
秋田鉄道管理局史 : 秋田鉄道管理局 (1961)
鉄道ピクトリアル各号 : 鉄道図書刊行会

写真は第二下内川橋梁での2021列車<あけぼの>。
タイトルの80s'を遥かに越えての最近の撮影をご容赦いただきたい。保線基準の緩和から盛土斜面の植生の周期伐採がなされなくなり、畑作地の前縁からは取り難くなってしまった。

[Data] NikonD3s+AT-X300AF PRO 300mm/F2.8D 1/500sec@f5 C-PL filter ISO320 W.B. 5560 Developed by CaptureOne5 Edit by PhotoshopLR4 on Mac.
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